海上保安庁の航空機と日本航空の旅客機が滑走路上で衝突するという衝撃的な事故でした。
この事故は、日本の航空史上に残る悲惨な出来事となりました。
しかし、なぜこのような事故が起こったのでしょうか?
この記事では、事故の原因と影響について、分かりやすく解説していきます。
【羽田空港】JALと海上保安庁の衝突事故の概要
2024年1月2日午後5時47分に、羽田空港の34R滑走路で、海上保安庁の航空機「JA772A」と日本航空の最新鋭旅客機「エアバス350型機」(北海道の新千歳発・羽田行きJAL516便)が衝突する事故が発生しました。
この事故で、海上保安庁の航空機に搭乗していた乗員6人のうち、5人が機内から発見され救出されましたが、死亡が確認されました。
海上保安庁の航空機に乗っていた乗員6人の身元は、死亡したのはいずれも第三管区海上保安本部羽田航空基地所属で、
▼副機長の田原信幸さん(41)
▼通信士の石田貴紀さん(27)
▼探索レーダー士の帯刀航さん(39)
▼整備士の宇野誠人さん(47)さん
▼整備員の加藤重亮さん(56)さん
と判明しています。
また、機長の宮本元気さん(39)は重いやけどを負っているとのこと。
海上保安庁によると、接触した海上保安庁の航空機は能登半島地震の対応のため、新潟航空基地へ物資を送る途中だったといいます。
日本航空機(JAL)にいた367人の乗客と12人の乗員は全員脱出しましたが、14人がけがをして、このうち4人が病院に運ばれましたが、けがの程度は不明です。
【羽田空港】JALと海上保安庁の衝突事故の原因とは?
事故の原因については、現在も詳細な調査が行われていますが、当初の報道によると、以下のような状況だったと推測されます。
- 日本航空の旅客機「エアバス350型機」は、羽田空港の34R滑走路に着陸するために進入していました。
- 海上保安庁の航空機「JA772A」は、同じ34R滑走路から能登半島地震の対応のため、新潟航空基地へ物資を送る途中でした。
- 日本航空は会見で、自社の航空機に対して「着陸許可が出ていたと認識している」と説明。
追記
海保の機長は大やけどを負って治療を受けていますが意識はあることがわかりました。
また、聞き取りに対して
「管制官から離陸の許可が出ていた」
と話しているといいます。
一方で、管制官は事故が起きる前に、海上保安庁の航空機に滑走路の手前まで進む指示を出したものの、滑走路の中に入る許可は出していなかったと主張しています。
当時の見解に食い違いがあることから、国の運輸安全委員会は、海保機のフライトレコーダーとボイスレコーダーを回収し、管制官とのやりとりなどの調査を進めています。
【羽田空港】JALと海上保安庁の衝突事故の影響を徹底調査!
この事故により、羽田空港の運用に大きな影響が出ました。
国土交通省によると、事故を受け、羽田空港の滑走路は全て閉鎖されました。
しかし、事故のあったC滑走路以外のA、B、Dの滑走路については、約4時間後となる午後9時半ごろに運用を再開しました。
午後6時以降に羽田空港に向かう予定だった、日本航空、全日空、エアドゥ、スカイマークの各社の合わせて15便について、欠航が決まり、羽田空港のホームページによると羽田発着便については続々と欠航が決まりました。
2024年1月3日以降の影響については、まだ発表はありませんが、2024年1月2日の夜中には運航を再開できるように全力を尽くしたいと話しています。
追記
2024年1月3日も、事故の影響で羽田空港を発着する便を中心に、日本航空と全日空あわせておよそ100便が欠航する見通しだといいます。
全日空によると、今後の状況次第でははらに欠航便が増える可能性もあるとのこと。
年明けということもあり、帰省からのUターンの足に影響が広がる見込みです。
まとめ
34R滑走路で衝突した航空機事故の原因について、事故の概要、事故の原因、事故の影響についてまとめてみました。
この事故は、日本の航空史上に残る悲惨な出来事となりました。
事故の原因を明らかにし、再発防止に努めることが必要だと考えます。
また、事故に巻き込まれた方々には、心からお見舞い申し上げます。