【2022】森脇亮介の年俸は3500万で過去最高?!ドラフトは6位のオールドルーキーだった!

プロ野球選手の森脇亮介選手は埼玉西武ライオンズでは、チームの主力選手として活躍している選手です。

そんな森脇選手ですが、社会人野球を経てプロ入りしたことから、オールドルーキーとも言われているそうです。

今回はそんな森脇選手について調べてみました。

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【2022】森脇亮介の年俸は3500万で過去最高?!

まずは、森脇亮介選手の年俸から見ていきましょう。

森脇亮介選手は2018年のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6巡目指名を受けてプロ入りしました。

その際の契約内容は、契約金3,000万円、年俸1,000万円

そして、これまでの生涯年俸は9,100万円で、年俸は3,500万円が最高

さっそく、森脇亮介選手の年俸推移を見ていきましょう!

(※金額は全て推定)

年度年俸差額球団
20191,000万円西武
20201,300万円300西武
20213,300万円2,000西武
20223,500万円200西武

これまで3度の契約更改を行い、その全てで年俸がアップしています。

特に大きく増額した2020年の活躍は素晴らしいものでした!

その年のシーズン序盤は負け試合での登板が多かったのですが、徐々にチームの信頼を勝ち取っていった森脇亮介選手。

次第に、森脇亮介選手は試合を左右する重要な場面での出場が増え、勝ちパターンでの出番を任されるようになります。

その結果、47試合に登板し、7勝1敗1セーブ、16ホールド、防御率1・35の好成績でした。

その成績が評価され、契約更改で年俸は2.5倍の2,000万円増となりました。

契約更改で印象的だったのが、年俸アップよりも森脇選手のコメントでした。

「こういうご時世ですし、本当に僕が思っていたよりも上げていただいた。子どもにも奥さんにも何か買ってあげようと思っている」

引用:https://www.iza.ne.jp/article/20201212-P2VFQJI64FIGNETFUEG57DQ5KI/?view=pc

当時、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、球団の経営を心配する声もありました。

西武HDは2月25日、2021年3月期の連結純損益が過去最大の800億円の赤字となる見通しを発表。鉄道やホテル、ゴルフ場の利用客が大幅に減少していることなどが背景にある。

引用:https://full-count.jp/2021/03/09/post1058711/

しかし、森脇選手はそういった球団の経営を考慮した上でコメントされています。

謙虚な姿勢の選手で、より一層応援したくなりました。

また、同時に家族への感謝の気持ちが表れていて、素敵な方だと感じました。

【2022】森脇亮介はドラフト6位のオールドルーキーだった!

森脇亮介選手は社会人野球を経て、26歳でプロ入りしました。

森脇亮介選手は2018年のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6位でプロ入りしています。

プロ野球選手の中には高校を卒業してから入団する選手もいるので、オールドルーキーと言える年齢かもしれません。

実際に2018年にプロ入りした選手の中では、最年長でした。

実は、2018年に埼玉西武ライオンズから指名を受けた際、森脇亮介選手はすでに結婚して2児の父親。

そんな森脇亮介選手のプロ入りについて奥さんは

「後悔しないようにしてほしい。あんたの人生や」

と、背中を押してくれたそうです。

入団時のインタビューで家族にまつわるエピソードが印象的だったこともあり、森脇亮介選手は父親のイメージが定着したのかもしれません。

プロ野球選手としての目標を聞かれて

「子供が2人おりますので、子供の物心がつく頃までプロ野球選手でいて、子供に認識してもらえるように頑張りたいと思います」

と宣言した森脇亮介選手。

グローブには「心」という一文字の刺繍を入れてあるといいます。

「心」、そして「心」と同じ意味を持つ、りっしんべんを用いて名付けた子どもたちを身近に感じたいという森脇亮介選手に、夫人が刺繍を勧めたとのこと。

こうした家族想いのエピソードを聞くと、なんだかほっこりして良いですね。

現在は家族5人で暮らしているそうです。

そんな森脇亮介選手は、どのような経歴でプロ入りしたのでしょうか?

まず最初に、森脇亮介選手が野球を始めたキッカケは家族の影響でした。

森脇亮介選手は、福知山高校や府立工業などの野球部で25年以上監督を務めた森脇亮介選手の父・尚志さんと、4つ年上のお兄さんの影響を受けて、小学1年生から遷喬ジャガーズ(京都府福知山市)で野球を始めたそうです。

森脇亮介選手の日新中学校軟式野球部では当初ポジションは遊撃手でしたが、2年生の秋から投手になりました。

そして、森脇亮介選手は塔南高校へ進学し、高校1年春からベンチ入り。

高校1年秋の京都大会では、3位入賞に主戦として貢献し、創部46年目で近畿大会初出場を達成した森脇亮介選手。

しかし、森脇亮介選手に甲子園経験は無いとのこと。

森脇亮介選手は、高校卒業後はプロ志望届は提出せずに日本大学へ進学します。

当時の様子を森脇亮介選手は以下のようにコメントしております。

「高校生の時からドラフト候補に名前が挙がっていたが、当時はプロの世界へ踏み出す勇気がなかった。」

「先を見てしまいました。高校を卒業してプロに行って活躍できればいいけど、もし芽が出なかったとき、どうしようかなと。大学を出ていたほうがいいんじゃないかと考えていました」

引用:https://full-count.jp/2019/08/27/post509915/

大学2年秋からリーグ戦に登板し、3年春の開幕戦では初完封を記録した森脇亮介選手。

しかし、森脇亮介選手は肩痛によりリーグ戦中盤で戦線を離脱。

怪我が癒えて復帰した大学3年秋からは、同学年の戸根千明と共に左右2本柱の一角として活躍した森脇亮介選手。

森脇亮介選手は、大学3年秋はチーム最多4勝(0敗)、防御率1.91の成績を残し、大学通算では20試合に登板し8勝6敗、101.1イニングを投げて防御率2.22という成績を残しました。

そして、大学卒業後、森脇亮介選手はセガサミーに入社します。

実は、森脇選手は大学卒業後は野球をあきらめ、就職を考えていたそうです。

「結果が出ないことに、ずっともやもやしていました。このままだったら大学で野球は終わりかな。と思いました」

引用:https://full-count.jp/2019/08/27/post509915/

しかし、セガサミー入社1年目から森脇亮介選手は都市対抗野球大会に出場するようになりました。

そして東京ドームのマウンドに上がったことで、それまで全く考えていなかったプロ野球選手になることを意識するようになります

しかし、森脇亮介は苦労も多く、3年目は試合でほとんど投げられませんでした。

そしてピッチングコーチから今年でクビになるかもしれない』と言われます。

当時の森脇亮介選手は、野球を引退することも考えていたそうです。

そこから奮起した森脇亮介選手は、4年目の都市対抗野球大会でチームをベスト4に導く活躍を見せます。

最速152キロを記録するなど、大会優秀選手を受賞するほどの活躍ぶりでした。

こうしてスカウト陣の注目を集め、社会人4年目でプロ入りの夢を掴みました。

プロ入りの年齢について、森脇選手はこのようにコメントしています。

「今年入った新人の中では自分が一番年上なんですけど、周りから見たらここまですごく時間がかかったとか、遠回りしたんじゃないかって思われる年齢かもしれないです。

だけど、自分は本当にこのタイミングじゃなきゃ(ドラフトにも)かからなかったと思うんです。

仮に高校や大学の時に指名があっていたとしても、プロでは(実力が)足りてない状態で入団していたんじゃないかと思いますし、もしかしたらもうクビになっていたかもしれない。

だから自分にとってはここが本当にベストなタイミングだったんじゃないのかなと

引用:https://spaia.jp/column/baseball/npb/7363

森脇亮介選手は社会人野球を経て、26歳でプロ入りを果たしたオールドルーキーだったんですね!

今後の活躍も楽しみです。

森脇亮介のプロフィール

  • 出身:京都府
  • 生年月日:1992年7月13日
  • 身長・体重:175cm/70kg
  • ポジション:投手
  • 投打:右投/右打
  • 背番号:28
  • 愛称:パパ

まとめ

以上、森脇亮介選手の年俸と経歴でした。

森脇亮介選手の年俸は、3,500万円が最高でした。

ドラフト6位でプロ入り後、即戦力の選手として周囲からの期待に応える活躍をしてきたオールドルーキーの森脇亮介選手。

応援してくれる家族のためにも、これからも頑張ってほしいです。

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