【最新】中島裕之(宏之)の年俸推移はメジャーが最高額?!巨人に移籍した理由が驚愕だった!

巨人で活躍している中島裕之選手(※現在の登録名は中島 宏之)。

現在は巨人でプレーをしていますが、中島選手はこれまでに複数球団を渡り歩いています。

また、あまりイメージがないかもしれないですが、メジャー球団への移籍もしています。

今回はそんな中島選手の経歴や年棒の推移を調べてみたいと思います。

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【最新】中島裕之(宏之)の年俸推移はメジャーが最高額?!

プロ野球は実力の世界なので、契約内容にもよりますが、活躍や成績が評価されて年棒が決まります。

特に選手がチームを移籍する場合、年棒が大きく変わることが多いです。

そこで、複数球団渡り歩いた中島裕之(宏之)選手の年俸推移を調べてみました。

西武

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年度年俸差額球団
2001600万円西武
2002600万円±0西武
2003600万円±0西武
20041000万円400西武
20053400万円2400西武
20064400万円1000西武
20077000万円2600西武
20081億1000万円4000西武
20092億1000万円+1億西武
20102億5000万円4000西武
20112億8000万円3000西武
20122億8000万円±0西武

中島選手は2000年のドラフト会議で当時の西武ライオンズ(※現在は埼玉西武ライオンズ)から指名を受け、プロ野球選手としてのキャリアを歩み始めます。

プロ野球選手の年棒は、一軍に定着して成績を残すことで上がりますが、プロ入りしてからの2001〜2003年までは二軍での出場が中心でした。

しかし、2004年に松井稼頭央選手がメジャーリーグのニューヨーク・メッツに移籍したことで、同年の開幕から遊撃手に抜擢され一軍で活躍していきました

メジャー挑戦

年度年俸差額球団
2013325万ドルOAK
2014325万ドル±0OAK

2012年オフに海外フリーエージェント(FA)権を行使しメジャーリーグのオークランド・アスレチックスと契約します

しかし、2年間在籍しましたが一度もメジャーに昇格することはありませんでした

2年総額650万ドル(約5億4600万円※)+出来高、3年目は単年550万ドルで契約します。

しかし、3年目を迎えることなく中島選手の退団が決まります。

※1ドル=84円で換算(契約当時12年12月17日の為替レート)

オリックス

年度年俸差額球団
20153億5000万円オリックス
20163億5000万円±0オリックス
20173億5000万円±0オリックス
20183億5000万円±0オリックス

2014年オフシーズンにFAとなった中島宏之選手は日本球界復帰を示唆し、古巣・西武を含む複数球団の争奪戦の末、オリックス・バッファローズと契約を結びます

巨人

その後、オリックスを退団し現在の巨人へ入団しますが、オリックス時代にくらべると年棒が大きく下がることになります。

年度年俸差額球団
20191億5000万円-2億巨人
20202000万円-1億3000巨人
20215000万円3000巨人
20225200万円200巨人

さらに巨人移籍1年目の成績がふるわず、減棒が続く結果になりました。

金額としては87%のダウンとかなり大きいです。

これはプロ野球史上でも最大級の減俸でもあります。

これまでの年棒の推移はメジャーの5億4600万円+出来高といった契約が2年契約の総額なので、オリックス時代の3億5000万円が最高年棒でした。

メジャーリーグ挑戦は大きな金額がもらえるイメージだったので、この結果は意外かもしれませんね。

中島裕之(宏之)が巨人に移籍した理由が驚愕だった!

中島裕之(宏之)選手は2018年オフシーズンに所属していたオリックスを自由契約となりました。

その理由は、オリックスから減俸制限(40%)を超える推定1億円前後の年俸を提示され、これに中島選手本人が不服だったため退団となったようです。

当時36歳の中島選手は年齢的にもベテランで、獲得球団が現れなければ引退も予想される状況でした。

そんな中島選手に目をつけたのが巨人の原監督でした。

中島裕之(宏之)選手と原監督は、2009年の第2回WBC(野球の世界一決定戦)で同じユニホームを着て戦い、侍ジャパンとして共に世界一に輝いています。

中島選手はWBCで7試合に出場して、打率3割6分4厘、6打点、出塁率5割1分6厘、長打率5割4分5厘、失策も0と大暴れしました。

原監督は中島選手の獲得について聞かれると、

「すごく評価している。

非常に魅力的な選手。

何より私と相性がいいと、私が勝手にそう思っている。

野球選手として質の高さ、勝負強さがある」

とコメントしています。

中島選手は原監督のこの発言を聞いて、

「ボクとの相性がいいと言ってくれているんですよね。

うれしいです。

最初、巨人の監督に原監督がなるって聞いたときは、一緒に戦えるようになればいいのになぁって思ってたんですよ」

と以前から原監督と一緒に野球ができることを望んでいた様子でした。

さらに、中島裕之(宏之)選手は

「誰もが同じだと思うけど、野球選手は期待してくれる球団でプレーするのが一番。

真っ先に声をかけてくれたのがジャイアンツ。

今は“やったるで!”という気持ちで燃えたぎっています」

と気持ちのたかぶりが言葉に現れており、正式契約発表前にフライング気味の発言をしています。

また、当時日本代表チーフスコアラーの重職を担っていた三井氏は、中島裕之(宏之)選手について、

「とにかくナイスガイ。

WBC後、僕が球場を訪れると、向こうから見つけて駆け寄ってくれて、軽いあいさつだけというわけではなく、ひとしきり雑談に興じてくれる。

気遣いができて、義理堅く、人情味のある男です」と称賛する。そんな性格を含めて、原監督は中島を非常に高く評価し、いつか一緒にプレーすることを描いていた。

引用:https://full-count.jp/2020/09/29/post914664/

とコメントしていました。

中島裕之(宏之)選手の巨人移籍は人格面も評価されたうえでのことだったようです。

中島裕之(宏之)選手の巨人入団会見の動画がこちらです!

チーム移籍の際に、監督と選手でここまで相思相愛の入団はなかなか珍しいのではないでしょうか。

中島裕之(宏之)選手の巨人入団の決め手は、原監督からの言葉に心を動かされたとのことでした。

ただ、中島裕之(宏之)選手の巨人入団が、お互いが以前から意識しあって、結果としてつながったことに驚きました。

また、中島裕之(宏之)選手が退団してしまったオリックスですが、当時、メジャーからの移籍理由について、さまざまな噂が出ていたようです!

中島裕之(宏之)選手がオリックスへ移籍した理由

  • 中島選手が地元関西に戻りたかった
  • 年棒を含む条件面でオリックスが1番良かった
  • 山崎勝己選手の後押しがあった

印象的なのが、山崎選手が中島選手の幼なじみということです。

当時オリックスに在籍していた山崎選手から中島裕之(宏之)選手に

「来年どうすんの? 一緒にやろうや」

と電話があったんだとか!

お互いの実家は「歩いて2、3分の距離」だそうで、伊丹市立桜台小学校時代には、中島が投手、山崎が捕手でバッテリーを組んでいたそうです。

中島裕之(宏之)の経歴

中島裕之(宏之)選手は高校卒業後、西武ライオンズに入団。

松井稼頭央選手がメジャーに移籍した後の正遊撃手として活躍しました。

主要なタイトルは最高出塁率2回・最多安打1回を獲得し、ベストナインを4回、ゴールデングラブ賞を3回受賞

2012年オフに海外FA権を行使しオークランド・アスレチックスと契約します

2年間在籍するも一度もメジャーに昇格することはありませんでした

2014年オフシーズンにオリックス・バッファローズと契約し日本球界に復帰。

2018年オフシーズンには読売巨人軍に移籍し現在に至ります。

これまで主要なタイトルを獲得してきた中島選手ですが、その原点はなんといっても西武時代の活躍です。

当時は、チームの顔ともいえる看板選手で、ファンからの人気がとにかくすごかったです。

中島選手の登場曲が球場に流れると、曲の途中にファンからの大合唱が聞こえてきます。

さらに、登場曲が終わると中島選手の活躍を期待したファンからの声援も大きな声で聞こえてきます。

当時の中島裕之(宏之)選手の人気ぶりがわかる動画がこちらです!

そんな中島裕之(宏之)選手ですが、実はファンの間では通算2,000本安打を期待されているんだとか!

2022年で40歳を迎える中島裕之(宏之)選手。

今後の活躍にも期待が高まりますね!

美人な奥様と、かわいらしいお子さん達のためにも、益々のご活躍を期待しています。

まとめ

今回は中島選手の年俸推移についてまとめてみました。

その年の活躍によって年俸の上下が激しい印象です。

通算2,000本安打の達成がいつになるのか!?

今後の中島選手の活躍に期待したいと思います!

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