阿部寛は若い頃にモデルから俳優に転身して借金2億円!その理由を探ってみた!

阿部寛は若い頃にモデルから俳優に転身して借金2億円!その理由を探ってみた!

現在では、主演のドラマや映画など大ヒットする、大物俳優の阿部寛さんですが、若い頃にモデルとしてデビューしました。

その後、俳優へと転身しますが2億円といわれる借金を抱えます。

阿部寛さんに何があったのか、気になっている人も多いのではないでしょうか。

こちらでは、阿部寛さんが2億円の借金を抱えた理由を探っていきますので、どうぞ、お読みください。

すぐに読める目次

阿部寛の若い頃はモデル

阿部寛さんがモデルになったきっかけはなんだったのでしょうか。

モデルになったきっかけ

阿部寛さんは大学在学中に、姉の勧めで1985年「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募して、優勝を果たしました。

「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」の優勝賞品が車でしたが、その車欲しさに阿部寛さんは応募し、見事に獲得です。

優勝賞品の車はマツダの赤のファミリア。

その後、1986年創刊「メンズノンノ」の表紙を飾り、「メンズノンノ」「ノンノ」で活躍され、カリスマモデルといわれます。

阿部寛さん
・学歴:中央大学理工学部電気工学科(在学中にモデル)
・身長:189cm

当時「三高」がもてはやされていた時代でしたので、阿部寛さんは条件にピッタリでした。

三高

・高学歴
・高収入
・高身長

在学中でしたが、収入面ではトップモデルでしたので高収入だったと思われます。

学歴、収入、身長、まさに三高ですね。

阿部寛さんはモデルデビューすると、瞬く間に人気が爆上がりで、カリスマモデルとなりました。

大学卒業後はサラリーマン予定

在学中にモデルとして活躍する阿部寛さんは、大学を卒業後はサラリーマンになるつもりでした。

「メンズノンノ」創刊号の表紙を飾って話題のモデルになり、世間では阿部寛さんに注目が集まっていたにも関わらず、自身は実感はなかったようです。

大手事務所には入らずアルバイト感覚で、モデルをしていました。

それどころかプロ意識もなく、創刊号の表紙を飾る名誉もわかっていませんでした。

そのため、大学卒業後はサラリーマンになるつもりだったそうです。

なぜなら、父親と兄がサラリーマンだったため、自分も同じようにサラリーマンになると考えていました。

大学では理数系でしたので、エンジニアになるつもりだった、と「しゃべくり7」(日テレ系2018年出演)で語っています。

順風満帆にモデルとして活躍されていたのに、モデルを仕事と考えていなかったとは意外ですね。

家族も高身長?

身長が189cmもある阿部寛さんのご家族も、身長が高いのでしょうか。

阿部寛さんが身長が高いのでご両親、もしくは父親か母親のどちらかが背が高いのではないか、と考えてしまいますよね。

ですが、ご両親は背が高くありません

では、兄弟は高いのでは?と次に想像します。

阿部寛さんは、兄、姉がいらっしゃいますが、お二人とも背が高いわけではありません。

実は、家族の中で阿部寛さんだけが高身長です。

意外ですね。

本人は189cmと長身ながら、父親、兄弟は皆大きくない。

引用:slack

阿部寛さんの彫が深い顔についてはコチラをどうぞお読みください↓

阿部寛は俳優に転身

カリスマトップモデルだった阿部寛さんはモデルデビューから約3年後に俳優へと転身します。

いきなり映画の主人公の相手役オファー

モデルとして人気があった阿部寛さんに映画の大役の依頼がありました。

トップアイドルの南野陽子さん主演「はいからさんが通る」(東映映画1987年)の相手(許婚)役に大抜擢されたのです。

阿部寛さんの大学卒業と同時に俳優デビューすることとなり、モデルから俳優へと転身しました。

↓阿部寛さんが南野陽子さんのインタビュー代役をされた話はコチラです。

俳優への迷い

華々しく映画デビューした阿部寛さんですが、実は俳優転身に迷いがありました。

それは、モデルとしては成功したものの、演技の経験が阿部寛さんにはなかったからです。

悩む阿部寛さんの後押しをしたのは、父親でした。

チャンスがあるんだったらやればいい。
もしダメだったらやり直せばいいんだから

この父親の言葉に背中を押され、俳優への道に進みました。

この言葉のおかげで、仕事に打ち込むことができたそうです。

いろんなチャンスを経験し、決して失敗は悪いことではない、何度でもやり直せる、と勇気づけてくれる温かい父親ですね。

以来、阿部寛さんは大事なことは父親に意見を尋ねるようになりました。

阿部寛が借金2億円の理由3つ

阿部寛さんは俳優に転身した3年後に2億円といわれる借金を抱えています。

モデルから映画デビューし、俳優として順調なスタートを切った阿部寛さん。

それがなぜ、借金を抱えたのか、その理由を深掘りします。

①スキャンダル

阿部寛さんは1988年の「24時間テレビ」(日本テレビ系)内のスペシャルドラマ『二十歳 もっと生きたい』で沢口靖子さんと恋人同士の役を演じます。

前年に映画でデビューしたばかりの阿部寛さんは、ドラマ現場に行くのが毎日楽しかったそうです。

元々ファンだった沢口靖子さんに、

今度花火を見に行こう

と、スタッフやマネージャーがいる前で阿部寛さんが誘いました。

コソコソせずに、みんながいる前でのお誘いは、あっという間に噂が広がったのです。

ここまでオープンだと、話はすぐに広まるものだ。「2~3日後」にはスポーツ紙に「大切な人気女優をナンパしようとした、札つきのプレーボーイという記事」が出てしまった。

引用:週刊女性PRIME

東宝シンデレラ初代グランプリ、「澪つくし」(NHK朝ドラ1985年)の大ヒットで国民的女優と呼ばれていた沢口靖子さんをナンパしたのです。

メディアは、国民的女優の初めての熱愛に盛り上がり、沢口靖子さんの事務所は

大切な女優に手を出された

と、カンカンでした。

阿部寛さんと沢口靖子さんは花火には行きましたが、熱愛はありませんでした。

ですが、この一件で阿部寛さんはプレイボーイのレッテルを貼られてしまいます。

このことは、仕事にも影響を及ぼし、仕事が減少します。

ほかの女優と共演するたび「新しい愛」「三角関係」などと書かれたからだ。

https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/fd13d63c84af

こうして、阿部寛さんは仕事を干され、収入がなくなっていきました。

仕事を「干され」た阿部は「役者人生最初の試練」と振り返っている。

https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/fd13d63c84af

②俳優業がうまくいかなかった

カリスマモデルから俳優となり、話題になりましたが徐々に、話題性もなくなり仕事が減少しました。

そして、阿部寛さんの特徴の高身長は、俳優としてマイナスに働いてしまっています。

189cmの阿部寛さんは背が高すぎるため、相手の女優さんと同じカメラに収まらなかったのです。

モデルでは武器だった身長が、俳優業では相手とのバランスが取れないため、キャスティングから外されることが多くなりました。

前述の沢口靖子さんとのスキャンダルから軽薄な男のイメージが付き、仕事が減少した上、高身長という理由からも敬遠されてしまいます。

こうして、俳優デビューから約3年間は収入が減少し、パチンコで食い繋いでました。

今の活躍ぶりからは信じられませんが、仕事がなさすぎて3年間ほどパチンコで生計を立てていた時期があり、バラエティ番組『あの人は今!?』(日本テレビ系)に取り上げられたこともあったそうです。

引用:CREA

バブルが弾けたため

阿部寛さんは1991年に都心の新築マンションの一室(約100平米)を約2億円で購入したそうです。

このマンションはローンでの購入でしたが、バブルの崩壊でマンションの価値が3分の1に大暴落します。

そのため、莫大なローン返済だけが残ってしまいました

バブルの時は、投資目的で土地やマンションを購入することが多くありました。

阿部寛さんの他にも、バブルが弾けたため巨額の借金を背負った芸能人がいます。

不動産投資で失敗してしまった有名人としては、阿部寛さん、千昌夫さん、坂口良子さんらの名前がよく挙げられます。
三人とも、失敗の理由は、いずれもバブル崩壊にありました。
プロの不動産投資家でさえも、大きな痛手を被ったバブル崩壊。
阿部寛さんらの場合、物件の選び方や運用自体が悪かったというよりも、時期やタイミングが悪かったと言えるでしょう。

https://prestige1.jp/column/211022

ちなみに、千昌夫さんは1,034億円、坂口良子さんは40億円。

莫大な負債ですね。

この二人の金額と比較すると、阿部寛さんの2億円が少額に見えてきますが、2億円は巨額です。

バブル崩壊は、大損失を被り購入した土地やマンションを手放したり、自己破産をする事態に追い込無こともありました。

阿部寛さんも、バブル崩壊で生活が苦しくなった一人です。

仕事も減少した時期と重なり、どん底の生活を余儀なくされてしまいます。

阿部寛の借金はどうなった?

巨額の借金を抱えた阿部寛さんですが、現在は完済しています。

俳優としての意識が変わったことが大きな原動力だったようです。

どん底生活から脱出するため仕事を選ばない

どん底を味わった阿部寛さんに転期がありました。

バラエティー番組「あの人は今?!」(日本テレビ)に取り上げられたことです。

パチンコで生計を立てていた阿部寛さんは

このままではいけない!

と、一念発起して仕事を選ばず、がむしゃらに俳優業に励みました。

仕事もお金もない逆境。「やりたくない濡れ場みたいな仕事もあったけど、イメージとか言ってられる場合じゃなかった。自分はこんなこともできるんだということを見せるプロモーションだと考え方を変えたんです」

引用:スポニチ

地方のイベントに出演することもあったそうです。

つかこうへいとの出会い

つかこうへいさん作の舞台「熱海殺人事件」(1993年)に阿部寛さんは出演することになりました。

低迷していた阿部寛さんに、つかこうへいさんが

イメージとかそういうものを全部壊して、最初からお前を食える役者にしてやる(引用:しゃべくり007)

と、指導されました。

そう言われても、ピンとこない阿部寛さんは半信半疑。

バイセクシュアルの元棒高跳び選手の刑事という難しい役を演じましたが、この作品をきっかけに世間の目が変わります。

つかこうへいさんの厳しい指導を乗り越えた、ということが世間の評価につながったのです。

阿部寛さん自身も、この舞台で自分の殻を破り二枚目俳優のレッテルを破ることができた、と語っています。

つかさんの舞台に出て、苦しみながらも自分の殻みたいなものを破ることができた。そこから表現することの面白さとか、自分にないキャラクターを演じることの楽しさを知りました。あの舞台がなければ本当はもう、ここにいないかもしれない。

引用:日経Xwoman

つかこうへいさんとの出会いが阿部寛さんを再び、俳優として返り咲かせてくれました。

借金完済

阿部寛さんは、がむしゃらに仕事に取り組み働いた結果、約20年で借金を完済しました。

仕事が減少していた阿部寛さんは、189cmの高身長でも共演者とバランスが取れるかを考たそうです。

・自分が小さく見えるように、カメラから距離を取る
・主役であっても共演者より後ろに立つ、もしくは座る
・高身長の俳優の自伝を読み研究

いろいろ考え、試して工夫することで仕事につなげていきました。

そして努力を積み重ね、約20年かけて借金を完済しました。

コツコツと頑張っていたんですね

「阿部は07年公開の映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』に出演した際、大阪での舞台挨拶で『最近になり(過去に投資マンションで作った数億円の)借金を返し終えた』と正直に告白しています」(映画誌ライター)

引用:アサ芸プラス

まとめ

阿部寛は若い頃にモデルから俳優に転身して借金2億円!その理由を探ってみた!についてお届けしました。

阿部寛さんは
・トップモデルから俳優へと転身
・俳優業が低迷
・投資目的でマンションを購入
・バブル崩壊と仕事減少で約2億円の借金
・約20年で借金完済

映画やドラマで主演を務める大物俳優の阿部寛さんには、大変な苦労話がありました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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